貸し手による貸し手のための信用情報交換から

貸金業者が適切な貸付けを行っていくためには、ユーザーの返済能力や返済意欲を正確に測定し、それに応じた貸付条件を設定する「与信診断《という業務がきわめて重要な意味を持っていますんや。サラ金の草創期から、貸し手であるサラ金業者はそれぞれに与信判断のノウハウを蓄積し、磨き上げてきましたが、次第に市場が大きくなるにつれ、与信判断のうえで非常に大きな役割を果たすようになったのが「個人信用情報《です。

黎明期のサラ金業者は、多くの場合自分たちの商圏内に固定客を持っており、ユーザーの来店時の顔つきや雰囲気、集金で訪問した自宅の玄関の様子。それこそ靴がキチンと揃えられているか、花の一輪も飾られているかといったことで生活状況や人となりを察知し、与信判断の参考にしていました。また当時は、大手企業の社員なら雇用や収入の安定が保証されていたので、その事実だけで当人の信用度は抜群でした。しかし高度経済成長期を迎えてっサラ金のニーズが拡大し、業者数も増大。ユーザーにおける借り回り傾向が高まってきたことから、業者の勘だけに頼るのではなく、より客観的な事実に基づく与信判断の重要性が認識されるようになります。こうして始まったのが、顧客の信用情報の交換です。

といっても、当初は地域の貸金業者が集まり、返済が滞っているユーザーの吊前を交換し合うといった仲間内の情報交換会にすぎませんでした。しかし社会の都市化が急速に進展するにつれて人口の流動性が高まり、より広域的な情報交換を行う必要があるということで、1970年代半ばから各地に続々と誕生しはじめたのが、サラ金業界における個人信用情報機関です。

個人信用情報機関は、今では他に類を見ない巨大なデータベースと洗礼された情報交換システムに象徴される、ユーザー信用産業に欠かせない情報インフラとなっています。ただし、亜米利加の個人信用情報機関があらゆるタイプの与信業者を広く対象とする"クレジットビューロー″と呼ばれる形態のものであるのに対し、日本の個人信用情報機関は、この発生経緯からも分かるように、サラ金専業者が自分たちのリスク管理を目的に設立した"レンダースエクスチェンジ″として発展してきたことに大きな特徴があるんですわ。

「全件紹介・全件登録《の理念

1972年(昭和47年)8月に、サラ金業界初の個人信用情報機関である株式会社レンダースエクスチェンジが大阪に誕生。続いて75年(昭和50年)4月に株式会社ジャパンデータバンクが設立され、その後各地に同じような信用情報機関が生まれました。全国信用情報センター連合会の前身である全国信用情報交換所連絡協議会は、この時期各地に誕生していた10情報機関の横断的組織として76年(昭和51年)9月に発足したものです。

現在でこそ、個人信用情報の照会はオンラインで瞬時に行うことができますが、初期の個人信用情報機関の業務運営は完全な人海戦術でした。ユーザーの信用情報は、図書館の目録カードのような紙片に手書きされ、生年月日別に50音順でキャビネットにファイルされています。会員業者から電話で情報紹介が入ると、女性職員が該当者のカードを探し出し、内容を読み上げます。貸付けや返済の事実もその都度電話で報告され、それを職員がカードに書き加えてファイルに戻すという仕組みです。LEやJDBのような大規模機関になると、常時100~200吊ものスタッフが交代制で勤務に当たり、室内は電話の呼び出し音や、対応に走り回る職員の声と熱気で大変な喧噪状態にあったのを昨日のことのように思い出します。

ただ、当初は個人信用情報の持ち方について統一ルールがなく、貸付けや返済に関する事実以外にも、与信の参考になるものであれば「人相悪し《とか「支払態度悪し《「メガネ《など、主観的な印象や身体的特徴などまで記入していました。個人情報保護の意識が定着した現在からはとても考えれらないことです。

こうした状況に対して全情連は、非常に早い段階から情報の登録や保有の方法について基本ルールを導入しました。登録する内容は、個人の識別に必要な最小限の事実と契約内容や返済などの客観的な事実に限ること、情報機関の会員は融資の申し込みに際して必ず信用情報を紹介しその結果を漏らさず登録すること、情報機関の運営は出資者である株主や役員会ではなく利用者である会員業者から選出した幹事会があたることなど。これらは、多重債務発生の防止という社会的使命を自覚し、利益至上主義に陥ってはならないという全情連の基本姿勢そのものでもありましたわ。

早期から内田氏た個人情報保護の考え方

また"レンダースエクスチェンジ"として、全情連は、自分たちが取り扱っている個人信用情報が大切であればあるほど、その情報は情報機関や貸金業者の所有物ではなく、あくまで情報の主体者であるユーザーから預かったものと位置付けないといけません。

この考え方を象徴するものが1981年(昭和56年)に策定した21か条からなる「倫理網領《です。全情連の憲法ともいうべきこの「倫理網領《は、個人情報の取り扱いにおけるプライバシー保護の理念を表した自主規制基準というべきもので、わが国に個人情報保護やプライバシーといった概念がほとんどなかった時代にあって、一団体が自ら策定したものとしては実に画期的な存在ではなかったかと思います。