手さぐりの中で磨き上げてきたノウハウ

消費者金融業界が飛躍的な成長を始める1970年以前の時代をサラ金の創生期とするなら、この時期ほど各社がユーザーへの対面審査において高度なノウハウを開発・蓄積し、与信技術の練磨に力を入れていたときはなかったですね。

サラ金は、単にユーザーの勤務先の安定度やサラリーの額に与信しているのではなく、ユーザーの人となり、すなわち約束を厳守していただける方であるかどうかを見定めるところに真のノウハウがあります。個人信用情報機関もない時代のこと、ユーザーとの会話を通じてその方を観察し、資金をお貸ししてもOKかを判断する能力は、この当時のサラ金業者にとって無形の資産ともいうべきものでした。

少し例を挙げると、サラ金は短期間のちょい借りであるはずなのに、常に実印や印鑑証明書を持ち歩いているような人にはさすがに不自然です。営業マンだというのにスーツ姿ではない、事務職だというのに手が荒れているなど、申告した職業と服装・持ち物、言葉づかいが一致しない人なども要注意です。お金が必要な背景や資金使途に関する説明に矛盾がある人についても、慎重な与信判断が必要です。

対面与信の重視にはもう1点、ユーザーとの信頼関係を深めるという大きな意義があります。ユーザーとの間に親密な人間関係が築かれると、リピーターになってもらえるだけでなく、新規のユーザーを紹介していただけるという効果も期待できます。担当者を信頼していただけるようになれば、返済で困ったことがあっても早めに相談してもらうことができ、債権の不良化防止にもつながります。督促回収が必要な場合でも、担当者がユーザーの生活状況を熟知しているので、その方に合わせた柔軟な措置を取ることができます。1人のユーザーが完済に至るまでおつきあいするわけですから、服装や態度、来店時間帯などのちょっとした変化にも気づき、多面的に債権管理に役立てていくことができましたわ。

広告宣伝や資金調達にも独自の工夫

他にも草創期のサラ金業者は、見本や手本となるものが何もない中で、様々に工夫を重ねながらビジネスを拡大してきました。広告宣伝などもその1つです。ユーザーの口コミによる宣伝効果に頼る以外、宣伝媒体としては一部の夕刊紙やスポーツ紙くらいしかなく、私たちも様々なイベントを開催して新聞や雑誌のパブリシティ広告で紹介してもらうなど、色々知恵を絞りました。

しかし最大の苦労は何と言っても資金調達でした。ユーザーのニーズはあっても、ベンチャービジネスのようなものなので、銀行も私たちのようなサラ金会社には簡単に融資してくれません。手持ち資金で足りない分は、特定の個人から年24〜30%という比較的高い金利で借りることが通常でした。資金提供者を探すのは非常に困難でしたが、弊社の場合は地元の個人資産家の方などを紹介していただき、利回りの良い投資先としてまとまった資金をお借りしていました。私も当時、創業者の浜ちゃんに伴われて資金提供者の自宅をしばしば訪ねたものですが、「私はサラリーマンの代表としてここへお金を借りに来ているんやさかい」と、浜ちゃんは出された座布団を固辞して板の間に座り、幼児が済むとただ頭を下げて帰るのです。浜ちゃんが口癖のように言っていた「生きる金をお貸ししろ、死に金を貸すな」という言葉は、資金のありがたさをしっていたからこそのもんですな。草創期のサラ金業界には、30歳になるかならないかという和解創業者たちのこうした逸話がたくさんありましたわ。

1992年(平成4年)に社長となるまで、私は一貫して営業畑に身を置いてきました。65年(昭和40年)頃から少しずつ支店展開を始めたのに伴い、私も東京をはじめ広島、京都、福岡、名古屋など、東京以西の市場でサラ金のビジネスを経験してきました。「生きるお金をお貸しする」ということの意味も、そうした中で実地に体に叩き込まれていったように思います。