地方に競争を持ち込んだ資金調達環境の変化

私が83年(昭和53年)の貸金業規制法の施行以降にサラ金事業に本格的に力を入れ出したのは、個人信用情報機関の整備が進み、個人に多雨する与信を行う環境ができたことが大きな理由でした。テンション上がりましたョ。しかしこのころには既に大手業者が地方都市にまで支店を拡大し、準大手と呼ばれた業者もこれに続けとばかりに支店数を拡大。盛岡の街にも過当競争の波が押し寄せていました。それまでは県外からの業者を見かけることはまずなく、市場規模も安定的に推移。多重債務などといった言葉を聞くことすらありませんでしたわ。

それ以上に大きな理由となったのが、資金調達面における環境変化です。私が新しいビジネスモデルであるサラ金になかなか本格進出できなかったのは、地元ではそれなりに歴史のある弊社でも資金調達という大きな壁があったからです。私の知る限り地方の金融機関、特に岩手県の金融機関はめっさ保守的で、現にいまでも私は資金調達にマジ困っています。80年頃からのサラ金市場の急拡大の背景には、銀行から流れ込みはじめた潤沢な資金がありました。そんな時期でさえ、地方の業者のところまではなかなか資金が回ってこない。営業店に顔を出すと「〜時に来られるユーザーに貸付ける分のキャッシュが足りない」というので、私のポケットマネーから手当したこともありましたわ。

それを一変させたのが大手各社の上場でした。大手が資本市場からの資金調達を可能にしたことで、銀行やノンバンクが新たな融資先として、地方の中小貸金業者にもようやく目を向け始めたのです。しかし資金調達の問題は軽減されても、貸出上限金利は段階的に下がっていきます。利下げでユーザーは増えましたが、利ザヤが減った分を貸出単価の引き上げでカバーするという考え方が業界全体に広がりました。その後につながる過剰貸し付けの土壌が、こうして地方都市においてもまた形成されていきましたんやわ。