戦後を支えた質屋からスタート

現在のような形態の消費者金融業は、高度経済成長の始まった1960年(昭和35 年)ごろに登場しはじめたといわれている。それまでの時代、一般庶民にとって身近な金融といえば「質屋」が代表格だった。ことに終戦後、日本経済は悪性のインフレに見舞われ、人々がその日の生活を送るだけでも精一杯だったなかで、着物や時計、貴金属類を担保に少額の金銭を貸し付ける質屋は大いに業績を伸ばした。利用者は手近な資産を預ければ当座の資金を借りることができ、インフレで物価が上昇し続けていた時代のこと、高値で質流れ品を処分できるため、業者に とっても収益性の良い商売だった。A株式会社の前身はマルイトという質屋ですが、創業は36年(昭和11年)、私の父が神戸市生田区(現中央区)に興した丸糸呉服店にさかのぼる。

呉服と消費者金融とは一見何の関係もなさそうだが、いわゆる嫁入り道具の着物ともなれば親から娘への財産分与の意味もあり、かなり高価な買い物となる。ときには母娘で来店されたお客さまが、夫や父親の了解を得たいので、反物を一度家に持って帰れないかとおっしやることがある。高価な反物を預けるのは不安だが、お客を信用して反物を渡し、気に入れば買っていただく、そうでなければ返していただくということで商売をうまく展開することができたと聞いている。その後、戦局の悪化や奢修禁止令によって呉服業は廃業を余儀なくされたが、戦後の混乱のなかで事業を立て直した親父は、建築・工業用資材の取り扱いに始まり、洋品雑貨の小売りなどを手掛けるようになる。やがて戦後復興が進み、建築・工業資材の需要が落ち着いた48年(昭和23年)、親父は新たなビジネスとして質屋業に進出した。しばらくは順調に業容を拡大し支店も増えたが、50年代半ばを過ぎると消費生活が好転し、現代ほどではないものの、技術革新の進展や流行のサイクルの短縮化によってモノの価値が低下。質屋業も、庶民金融としてよりも古物販売業として利用されることが増え、一時ほどの収益力はなくなっていった。うちも一部の支店で手形割引や商店経営者向けの金融を手掛けるなど、金融をベースにした新事業への 転換をさまざまに模索するようになった。

「勤め人信用貸し」事業の本格推進

そのころ親父は、うちが加入していた兵庫県貸金業協会(当時)のなかで交誼を得た同業者から、「勤め人信用貸し」という業態があることを知らされる。当社の地盤であった神戸市には、この分野において先駆的な方々がおられ、協会も会員向けに講習会や研究会を盛んに開催していた。当社の金融部門の担当者も参加し、これが実に驚くような事業形態であることを学んで帰ってきた。その特徴とは――

・給与所得者への「対人信用」に基づく融資であり、健康保険証か身分証明書、給与明細、連帯保証人1名が揃えば、白紙委任状や印鑑証明なしに即時融資を行う。
・融資額は月収相当額を基準にしており、質屋業の融資単価が平均5000円以下であるのに対し、平均2万円程度を融資していた。
・延滞者には法的な回収方法も可能である。
・家族労働や住み込み労働の多い質屋とは違い、法定労働時間内の近代的な営業であり、日曜に休業できる。

いずれも質屋業の常識からは大きくかけ離れており、たいへん魅力的である一方、無担保で2万円ものお金を融通してよいものか、さすがに不安がある。しかし将来性のある新業態を模索していたこともあり、1960年(昭和35年)3月、神戸の元町店において「サラリーマン金融」の試験的な営業を開始した。結果は非常に好調で、お客は順調に増加。返済の遅れもあまりない。翌年には質屋業とは切り離した独立店舗を開設し、続いて神戸よりも市場の広い大阪の梅田や淀屋橋界隈への出店にも踏み切った。

梅田や淀屋橋付近には大企業の本支店、銀行や証券会社などが集中しており、いまでいうホワイトカラー層が勤務する地域。当初の融資条件は、公務員か著名企業に2年以上勤務していることで、必要書類は健康保険証か身分証明書、給与明細。保証人が必要であり、返済回数は3回、5回、10回。貸出金利は年利102%程度というものだった。安定した給与を得ている信用度の高い人々にアピールしようという営業戦略は成功し、お客さまが行列をつくるほどの盛況ぶりで、このビジネスの将来性を確信させるものだった。

この時期私は、繊維関連企業で女性ファッションの仕事を主に担当していた。東京オリンピックが開催された64年(昭和39年)、私は高級婦人服市場の視察を主目的に2週間渡米し、米国での質屋業と消費者金融業の実状についても見て回った。そして米国には、一般消費者向けにお金を貸す「ローンズ(ro器∽こという看板を出す店が広く定着していること、質屋のほうは資産家層を相手に宝飾品や皮革製品の保管ビジネスとして賑わっていることなどを実際に見聞。これをきっかけに、店名も「サラリーマン・クレジット・ローン」とした。2年後には、1カ月分の給料(サラリー)を融資するという意味から「サラリーローン」と改め、新しい業態イメージの確立を図っていった。

いつの時代でも、サラリーマンは月々の給与以外に資金が必要になる局面にしばしば遭遇する。質草を抱え、人目を避けるように出入りする質屋とは違って、自分自身の信用だけで現金を借りられるというスタイルは、都会のサラリーマンたちにとって非常にスマートで実用的なものだった。「サラリーローン(消費者金融)」は、高度経済成長期以後の都市部に急拡大した給与所得者層が、まさに必要としていた金融サービスだった。